「The Rainy Day」
立教大学 文学部文学科 3年 片野 芽衣
『武蔵野の野寺の鐘の聲聞けば遠近人ぞ道いそぐらん』
この野寺の鐘というのは新座市にある満行寺の鐘のことでこの鐘には多くの伝説が存在する。例えば村人が大きなヤマノイモだと思い土を掘ってみると古鐘が出てきたという噂や、男が鐘を盗んで池に隠すと鐘が消えていたという噂、そしてかの有名な弁慶が鐘を京都まで持っていこうとしたなんて噂もある。へぇー、野寺の鐘か…ちょっと見てみたいかも。
時刻は午前6時34分。明日までに提出の課題が机の上からいつやるの?と言わんばかりにこちらを睨んでいる。帰ったらやる、帰ったらやるからね…そう心の中で唱えて、私は足早に家を飛び出た。コロナで自粛をしていた私にとって、久々の外出はまるで塔の上に閉じ込められていたお姫様が初めて外の世界に足を踏み入れたような、そんな気分だった。見るもの全てが新鮮に感じて、自分をワクワクさせる材料となった。いつもなら憂鬱に感じる雨だって、今日はなんだか特別。傘に落ちる滴のトントンッ、という軽快なリズム音や、いつもより葉っぱの青っぽい匂いが雨の匂いと混じりマスクを通り越して鼻にたどり着くのを感じられた。
私の家の最寄り駅から満行寺の最寄り駅のひばりヶ丘駅までは片道だけでも1時間29分。ちょっとした旅行だな、なんて思いながら絶え間なく移りゆく景色を電車の窓から眺めた。時間が経つにつれて私が知っている名前の駅名標が消えていき、旅行気分はどんどん増していく。昨日は夜更かししすぎたな、なんてうとうとしているとあっという間にひばりヶ丘駅に到着した。そこから志木駅行きのバスに乗ること5分、火の見下というバス停で降りて、ぽつりぽつりと通り過ぎていく人々を横目に閑静な住宅街を抜けていく。歩くこと6分、住宅街に見合わない生い茂る緑が見えてくる。さあやっと、あの野寺の鐘を拝めるぞ、と軽快に歩を進めて左手に見えた入り口に体の正面を向けた。私はその光景を見た瞬間、思わず息を飲み込んだ。 こんなに神秘的な世界が日本にあったなんて…。
目の前には高く大きく生きる木々が私を異空間へと誘い込み、遠くには横にグーッと伸びた壮大なお寺が厳かに聳え立っている。雨で湿った木の幹は茶色よりも黒に近い色で樹皮が1本1本くっきりと見え、葉っぱの上には露が着き、緑は濡れて一層深みが出ている。本当に神様がここに宿っている、そう感じた。神様の怒りを買わないように恐る恐る奥へと進むと、右側に小道が見えた。そこを進んでいくと、私が待ち望んでいたあの鐘が姿を現した。朱色の建物で囲まれているその鐘は決して大きくはないが、なるほど、確かに引き込まれる不思議な魅力があった。鐘のそばにはあじさいがいくつか咲いていた。白に近い薄い紫のものから青紫の濃いものまでさまざまだった。雨の日に来たのは成功だったかもしれない。今朝の私を心の中で少しだけ褒めた。
帰りのバスの中で、私は先ほど訪れた神秘の森のことをひたすら考えていた。家を出る時に乾いていた靴は案の定足の先がぐしょぐしょに濡れていて、先程まで差していた傘の表面には行く時にはなかった白い花びらがついている。それを取り払うこともせずに私は考えていた。明日までの課題のことはとうに頭の中から消えている。在原業平の本当の声なんて当然聞いたことはないけど、それでも彼の声であの俳句を繰り返し詠んでいるのが聞こえた。バスのアナウンスの声がだんだんと遠くなっていく…。