『じいちゃんに新座を案内する日』
立教大学観光学部観光学科
北澤 來実
「次は平林寺、平林寺でございます」。我先にと降りますボタンを押したつもりが友達の方がワンテンポ早かったようで、「とまります」の文字が赤く光った。降りますボタン早押し対決を挑まれていたとは知らない友達は淡々と降りる準備をしている。自分も荷物をまとめながらふと、去年の自分と比べたら大分この街に適応してきたなと思った。
私の地元は車社会で、バスといえば循環バスのイメージだったので、バス停が道路の両側にあることを知らず、乗ったのは良いが元の場所へ戻れなくなり市内をさまよったこともあったし、どこへ行っても人がうじゃうじゃいて、夜遅くまでブンブン言っているバイクや電車の音が聞こえてくるような環境にも中々慣れることが出来ず、ホームシックになった。街にはなんの罪もないのに、あの頃は新座という街そのものを嫌いになりかけていた。それなのに毎日必ずじいちゃんが「おい、第二の故郷はなっちょか」と電話で聞いてきた。「普通」と返すと「案内してくれや」って、これもセットで言われた。私は「またいつかね」とはぐらかして答えるのが定番だった。だって学校と家を往復するだけの毎日で探索することもないし、第二の故郷なんて言えるほど街を知らない。
ところがどっこい、その「探索」の機会は突然訪れた。トラベルライティングの授業で「私の好きな新座」をテーマにレポートを書かなければならなくなった。私も友達も大慌てでパンフレットを広げて調べたり 「新座 観光スポット」と検索してみたりした。そうして満場一致で興味を惹かれたのが、新座駅からバスで約10分の所にある「平林寺」だったため、こうしてバスに揺られているというわけだった。
正直ちょっと自然が多いだけの普通のお寺だと思っていた。しかしそれは大きな間違いだったと、小門を潜って境内に一歩足を踏み入れたその瞬間に悟った。まるで結界が張られているかのように、澄み渡った神聖な空気が漂う。ゆっくり深く息を吸い込むと、雨上がり特有の大地のしっとりと重い匂いと木々の爽やかな香りが、どちらも身体の隅々まで行き渡るのを感じた。青々とした緑の葉の隙間から太陽の光が降り注ぎ、平林寺堀の水はキラキラと反射し、仏殿まで続く真っ直ぐな道の上に立つと吸い寄せられるような感覚に陥る。山門の両側には阿吽の金剛力士像が安置されていて、間近で見ると金網越しとは思えないほど迫力があり、じっと見つめる視線の先に自分が入ると、心を奥底まで見透かされているような気がした。小さな虫の軍団や絶対に食べない方が良さそうな色のキノコ、土を踏みしめる感覚、蜘蛛の巣を避けるために中腰になりながら歩くこと。その全てが懐かしかった。浜辺に寄せる波のように、風に揺られる木々の影が私を隠したり日の下に晒したりを繰り返す。景色がチカチカするからこういう時決まって私は日陰側に移動して歩くようにしていたのに、この時はそれすらも楽しかった。どれだけSNSやテレビを見ても満たされない部分が、ここの全てで埋められていくのをひしひしと感じた。少し元気がなかったモミジと放生池の主っぽい鯉には、秋にまたここへ来ることをこっそり約束した。
その夜いつも通り家から電話があって、平林寺の感想を聞かれた。自然の生気を全身で浴びたことにより、私はこんなにも心を持っていかれている。ただ、どれだけ言葉で説明してもこの魅力のほんの一部しか伝わらないだろうと思い、「行って良かった!行けば分かる!」と昂った気持ちをそのままに話した。「ほー、ほんじゃあこんだ連れてってくれや」と話す声は、普段あまり感情を表に出さないじいちゃんにしては、ずいぶんと楽しそうだった。私が「第二の故郷・新座」を案内する日は、きっともうすぐそこまで来ている。