『求めていた場所、心の拠り所』
立教大学観光学部観光学科 3年
坂部 和桜
「新座ってどんな場所?」
そう聞かれるといつも返答に困る。都会かと言われればそうではない。多くの人が想像するような、ビルが立ち並び、人でごった返すような光景は新座では見られない。では田舎かと言われればそれも違う。それなりに多くの人が暮らしており、新座駅周辺もそれなりに栄えている。良くも悪くもつかみどころがない、言葉を選ばずに言えば中途半端。
「中途半端でどこか落ち着かない。」
「どこにいても心が休まらない。」
そう私は思っていたのだ。あの場所を訪れるまでは―。
学校の帰り道、自転車を漕ぎ出した。夢中で自転車を漕いでいた。あの時何を思って自転車を漕いだのか、今はもう思い出せない。ただ、その時の私は心の安らぎを、安心できる居場所を求めていた、そんな気がする―。
そしてたどり着いた。新座市野火止にある平林寺。そこにあるのは鬱蒼と立ち並ぶ木々。静寂とした空間。私が求めているものがここにある。直感的にそう感じた。体が総門に引き寄せられていくようだった。普段なら入場料を払わなければならない場所にはなかなか入らないケチな私だが、この時は迷わず入山した。平林寺の自然に呼ばれている気がしたのだ。私の直感と平林寺の自然の声が入山するように言っていた。
一歩境内に足を踏み入れた瞬間だった。「あぁ、ここだ。ここには私が求めていた安らぎがある。」と心の中でつぶやいた。歩いて奥に進むと、より厳かで静かな雰囲気に包まれる。「こんな場所を求めていたんだよ。」「あぁ、できることならずっとここにいたい。」孤独のグルメの井之頭五郎よろしく、独り言をつぶやいてみる。自然に癒され、きれいな空気をめいっぱい吸い込む。なんて気持ちが良いのだろう。
大学内や駅周辺では絶対に味わえない澄んだ空気だ。人であふれている空間が私は正直得意ではない。そもそも人と話すのはそれほど得意ではないし、社交的でもない。人が多くいる空間に長くいると疲れてしまう。そんな私が訪れるべきなのはここだったのだ。平林寺の自然に包まれ、洗練された空気の中で過ごすこの時間は、この時間だけは、心からの安息を得られるのだと気がついた。ざわざわと揺れる木々の音も、つんと張りつめた空気感も、そのすべてが日常の喧騒に疲弊した心を癒してくれた。
と、ここで一つ謝罪を。最初に私は新座のことを中途半端で落ち着かない、心が休まらない場所だと言った。前言撤回。新座にはこんなにも素敵な心癒されるスポットがあるじゃないか。こんなにも心の落ち着く自然があるじゃないか。心からの謝罪をさせてくれ。声を大にして言おう、新座には心休まる素敵な場所がある。私の心のざわめきを抑えてくれる場所が、新座にはあるのだ。
きっとこれから先も、日々のストレスが蓄積しどうしようもなくなった時、心がはちきれそうになった時、人に優しくできないほどに自分の心が疲弊した時、私はそこを訪れる。平林寺。私の心を癒してくれる自然を求めて、きっと、そこを訪れるのだ。