『私の庭は門を越えた異空間に。』
立教大学観光学部観光学科 3年
富田 萌
西武バス、平林寺。「ありがとうございましたー」。バスを降りる。10:29。店らしいものがある。店名がわかりそうなものを探す。あんみつ、おしるこ、たまり漬け。味のある看板と店先に置かれたガラスケースに並ぶ酒を見る。…帰るとき寄ってみようかな。気持ちを切り替え、睡足軒へ足を進める。思っていたより自転車が通る。人が住んでいる空気がして少し安心する。それというのも、平林寺の1つ前の停車地、陣屋あたりから、なんだか歴史深い、ちょっと立ち寄りづらいところなんじゃないかと思っていたからだ。
「新座市睡足軒の森」。ここは、向かいにある平林寺の土地の一部で、国指定天然記念物に指定されている。なんとここは入場料がなく、一般の人も自由に出入りすることができる。竹林を過ぎ、少し開けてきた。ここだな。いかにも文化財、という感じの佇まいだ。いよいよ門をくぐる。勝手に入ってもいいのだろうか。緊張しながら1、2歩進む。緑の世界が視界いっぱいに広がる。池がある。赤や金など雅な色合いの鯉たちが池でゆったりと泳いでいるのが見えた。門の外の世界から切り離されたかのような静けさ。あまりの非現実具合に思わず後ろを振り返った。すると、外からは見えなかった青いアジサイがこんもりと咲いているのが目に入った。そうか、6月か。ふと思い出した。手入れをしている方しかいないのをいいことに、顔を近づけてアジサイの香り、そして小さな花々1つ1つを味わった。ここで咲くためにアジサイは生まれたんじゃないかというくらいこの場にぴったりだと思った。もうすでにこの空間に魅了されていた。石畳の道は曲線を描くように奥へと続いている。綺麗に手入れされた道を歩いていると、何かがスルリと私の足元を横切った。虫にしては長かった。なんだろう。恐る恐る見る…トカゲだ !姿を見たのはいつぶりだろうか。あまりの自然の豊かさに思わず笑ってしまった。
池に夢中になっていたが、そうだ、睡足軒に来たんだった、と思い出し、石畳をたどってそれらしい建物へ。引き戸が少し開いていて、中を覗き込んだ。おぉ。外見から想像していたよりも広い。向こう側の戸も開いていて、爽やかな緑の景色がぼんやりと浮かび、外からの光が部屋に差し込んでいる。中には入れないのでぐいっと頭を入れた。天井の梁が立派だ。暗めの色の木とモダンな電飾が明治の香りを彷彿とさせる。だが、やはり1番に目に入るのは、正面にある円窓と横額だ。茶室特有の趣を感じる。ここから見える四季ごとの景色を想像するだけで楽しい。ここでゆったりお茶を楽しんでみたいと思った。いつか叶うだろうか。さて、パンフレットももらっておこうと視線をやると、アジサイが目に入った。花手水だ。1朶の青みがかったアジサイが水に浮かんでいる。小さな花手水だが、これがいい、と思った。
もう少し池を見よう。青々とした木々。色んな形の石に囲われた池。池に空と木が反射して、鯉が水色の空の中で木々の間を泳いでいるようだ。目をつぶる。水の音。こぽこぽと鯉が呼吸する音。風に揺られて木々が揺れる音。どこからか聞こえる子供たちの楽しそうな声…。
おなかがすいてきた。気づいたらもうお昼時だ。バス停の前にあった店に行ってみようか。「また逢う日まで—」。鯉たちに別れを告げる。門を通る前にもう一度振り返る。うっすら池に見える鯉。森の奥に続く石畳。新緑の木々…。
1歩門の中に入れば自分だけの庭園になる。そんな気分になるだけ。それだけだが、ふと思い立った時に立ち寄ることができる異空間の存在は特別だ。紅葉の季節はさぞ見ものだろうなと思う。それでも、ちょっぴりじめっとした、しかし鮮やかな景色を見せる6月のこの場所が「私の睡足軒」だ。