『空に視線を』
十文字学園女子大学 人文学部文芸文化学科 4年
菅原 沙季
授業の一環として新座の街を歩く。ただ道を歩いていくだけでも、地元とは少し違うと感じられる。屋敷林があった名残や家と畑の位置関係など、新座にとっては当たり前の光景で自分の地元では見慣れない風景。同じ埼玉に住んでいるのにその土地に根付いた歴史が違うことを実際に歩き、自分の目で見ることでより体で違いを感じることができる。そんなことを想いながら、学校から20分弱歩いたところに進んでいくと、門のところには野火止緑地総合公園、野鳥の森と書かれている場所に着く。
新座にはところどころに、季節ごとにみられる野鳥について記された看板が置かれている。野火止緑地総合公園野鳥の森はそうした新座に生息する野鳥を観察するための場所なのだろう。自分が住んでいるところには野鳥を見るための場所がないため、新鮮に感じてしまう。無意識に空を見、きょろきょろと視線を動かす。野鳥の森はその名の通り、木々が生い茂る場所だ。秋に訪れると葉が落ち、それらを踏むと心地よい音が耳を楽しませる。その落ち葉のかさりとした音も子どもの頃を思い出させるようだ。この場は完璧に整備されてはいない。あるのは入れる場所と入れない場所との境のロープや公園を訪れる野鳥についての看板くらいだ。野鳥の森だが、野鳥が常に姿を現してくれるわけではない。動物園のように飼育されているわけではないから当たり前ではある。自分が訪れたら絶対に鳥を見られるという場所ではない。だからこそ、自分が訪れた時に見たことがない鳥に逢えたらいいなと心を躍らせることができる。普段よく目にする街路樹なんかよりも背の高い木々に囲まれながら、今日はどのような鳥がいるのだろうかと空を見上げる。知っている鳥は少ないけれど、見たことある鳥がいるかもしれない。童心にかえってあちらこちらと視線を巡らせる。この日はカラスが多く木の枝にとまっていた。新座の町にはハシブトガラスではなくハシボソガラスが住んでいるというが、いまいち違いが分からなかった。けれど、その違いが分かるようになったら楽しいのだろう。遥か高い位置にとまっているカラスを眺めながら、のんびりそんなことを考える。
空を見上げるという行為は、パソコンやスマホを見続けている私にとって少々首に痛みが伴う。それでも上を向いて、鳥を探してしまうのはこの場所の魔法だろうか。日が落ちてきたことによって暖かさが感じられる橙色の光が木々に射し込んでくる。枝や葉の隙間から見える青空がとても眩しく感じる。少々目が痛くなるほどの眩しさだが、それがなんだか心地よくて空を見上げ続ける。
野火止緑地総合公園、野鳥の森に滞在していた時間はそう長くはない。大々的に観光する場所として売り出されているわけでもないだろう場所。それでも、私にとっては何とも言えない収穫があった。それが何かはまだ説明が付きそうにはない。それでも確かに自分にとっては何かを得ることができた。街中で簡単に自然の一員になれるこんな森が地元にもあればいいのに、なんて気持ちが生まれた気がする。卒論などで行き詰った時にでもまた訪れようとそう心に決めた秋の一コマ。