『精霊が住む地』
立教大学観光学部観光学科 2年
足立 璃南
ある夏の午後、私は友人と暑さから逃れようと沢を目指していた。朝霞からバスに揺られとうとう眠気に襲われ始めたときに降りついたのは周りに何もないところであった。そこからまた少し歩き、やっと目的地に到着した。この過程でむしろ暑さが増長したように思える。ここには友人の提案で訪れたのだが、私はすでに嫌気がさしていた。なんといっても蚊が多い。まだそこについて10分ほどであろう。しかし腕にはすでに蚊が止まっており、私の血を吸って腹を膨らませていた。私は虫も嫌いだし、森をあるくのも好きではない。なんてところに来てしまったのだろう。うっそうと生い茂る木々に私は気を落とすばかりであった。「妙音沢」そう書かれた看板に従って私たちは歩みを進める。自分の背丈と同じ背の草が横に生い茂る階段を降り始める。風が吹くたびにざわざわと周りを囲む木々が音を奏でる。なんだか少し涼しくなったように感じた。私はやはり日本人、こういったところで涼しさを感じるのかと少し感心した。しかし、歩みを進めても私の目に映るのは一向に青々と茂る草ばかり、階段は思ったより急だし、周りには虫が飛んでいる。しかし、飛んでいる虫の中に黒いトンボを見つけた。その虫はずっと私たちの前をふわふわと飛んでいる。まるで神の使いの精霊が私たちに道を示してくれているように感じる。何だか少し幻想的でこんな森の道も悪くないと思えた。私たちはさらに歩みを進める。黒いトンボは私たちの歩みに合わせるように止まっては飛びを繰り返す。そんなとき、視界の端に流れる水が見えた。さらに歩みを進めると私たちを歓迎しているのか、暑さに辟易している私をあざ笑っているのか分からないが、先ほどよりも背の高い木々が私たちに話しかけてくる。役目を果たしたトンボはいつの間にか私たちの前から姿を消していた。少し寂しい。私の耳にザー、という水の音が聞こえる。その音を聞くだけでなんだか体温が下がってきた。もっと涼しくなりたいと少し水に手を入れてみる。かなり透き通った水で、思わず「綺麗…」と声が出た。水は冷たく、暑く火照った私たちの体を冷やしていく。手から伝わった水の冷たさを水の精霊が私の体の隅々まで運んでいく。ふと笑い声が聞こえて前を見ると、近所の小学生だろうか、水の中に入って遊んでいる。何となく自分の幼少期の記憶と重なり懐かしい気持ちにさせられた。小さい頃は祖母の実家に帰るたびに近くの川に入り、遊んでいた。いつからだろうか、水に入ることが嫌になって遊ばなくなったのは。私は幼少期のころの好奇心や何にも恐れない心が恋しくなった。ここの周りにはさっきまで過ごしていた世界と同じ世界とは思えないほど涼しく、懐かしい空気が広がっていて本当にここは新座なのだろうかと疑わざるを得ない。まるで少し田舎の方に来たのかと思わせるほどここの空気は澄み渡り、時間の経過を忘れさせる力を持っている。しばらく私と友人は沢の近くで談笑をした。気が付けば時計の針は二週回り、短針は5を指していた。私と友人はつかの間の涼しさを恋しがりながら、また急な階段を登り始める。なんだか、先ほどよりも足取りが軽い。きっと精霊たちが私たちの背中を押してくれているのだろう。そんなことを思いながら私たちは沢を後にした。妙音沢の森のような土地を離れると、私たちを包み込んだのはとっくに忘れかけていた暑さであった。私たちの帰りを待ちわびていたかのように体にまとわりついてくる。「せっかく涼めていたのに…」私たちはこの暑さになんだか怒りを覚えて近くのコンビニに入った。アイスを買って暑さを見返すかのようにがぶりとかぶりつく。生き返る。先ほど外から冷やしてくれた精霊が今度は私の体の中を駆け巡る。一気に涼しくなってくる。あぁ、なんていい夏の午後なのであろう。