『6.1インチの世界を飛び出して』

立教大学 文学部史学科 3年
松沢 結衣

 

 最近、私の世界は6.1インチの画面の中で完結している。どうにか世界を広げてもせいぜい15インチになるだけだ。コロナウイルスの影響で大学に通うことはほぼなくなり、授業も、友達とのコミュニケーションでさえスマートフォンやパソコンの画面で全て済むようになった。特に、インスタグラムを開けばたくさんの人が撮った様々な場所や食べ物の写真を見ることができる。さながら画面の中で世界旅行だ。小さな画面には遠く大きな世界が映し出されている。だがいつからだろう、広くて小さい画面上の世界でなく自分の視界全てに景色を写したいと思うようになったのは。

 1限の授業が終わって10時30分。パソコンを閉じたら間髪入れずにベッドに倒れ込みながらスマートフォンを開く。これがいつもの光景だ。だが今日は違う。パソコンを閉じ、最低限の身支度だけして家を飛び出した。行先は決まっている。私の家の最寄り駅から新座駅までは片道約1時間。バスに乗り換えて10分ほど揺られると、目的地のアナウンスが聞こえる。踊る胸をどうにか抑えながら私は下車ボタンを押した。バスを降りて少し歩く。私の目に飛び込んできたのは「緑」だった。正確には少し違う。青々と生い茂った木々たちだ。そう。私が目指し、たどり着いたのは埼玉県新座市に建つ平林寺である。私が今日平林寺に足を運んだ理由は単純明快、新座についてのレポートを書くにあたって最初に思い付いた場所だったからだ。いつものように画面とにらめっこして行った気になっても良かったが、なぜか平林寺には自分の足で向かいたかった。

 来て良かった。平林寺に着いて1番にそう思った。総門を通って中に入ったその瞬間、違う世界に入り込んでしまったように錯覚した。中はしーんとしていて、時が止まっているようにさえ感じる。いやいや、平林寺の中でもちゃんと時は進んでいる。その証拠に、風が周りの深緑をさわさわと揺らし、私の頬をも撫でていく。山門へ向かう道の途中にはたくさんの木々が立ち並び、その全員が空に向かってピンと背を伸ばしている。緑のトンネルを抜けると山門が私を出迎えてくれた。その山門は、飾り気があるとはお世辞にも言えないし、ビルなどの現代的な建物を見慣れている我々にとってはものすごく大きいとも言い難い。それなのにどうしてだろう。とてつもなく存在感がある。私は目が離せなかった。深緑という自然に囲まれたその人工物に異物感は全くない。むしろこの山門を囲む木々があるからこそこの山門は美しく、反対に、この山門があるからこそ周りの木々の緑も輝いているのだろうと直感的に感じた。

 私の横を風が駆け抜けた。すぅーっと鼻で息を吸い込む。境内の空気を肺にいっぱい入れれば、なんだか自分が体内から綺麗になっていくような気がした。ああ、これが深緑の匂いか。よくアロマオイルに「緑の香り」なんてものがあるが、それとはまた違う匂い。売り物の香りより柔らかく優しい匂いが私の鼻を抜ける。風を肌で感じたり自然の匂いを嗅いだりしたのはいつぶりだろうか。スマートフォンやパソコンの画面の中で完結した私の最近の世界には存在しなかったものだ。6.1インチの世界を飛び出して、自分の身体を連れ出せばこんな素敵な場所に出会えるのか。平林寺に来て良かった。この場所には画面の中だけでなく自分の足で赴かねばと思えた自分に感謝をしなければ。帰り際もう一度総門を抜けるとき、この場所を忘れないために写真を撮っておこうかとスマートフォンを鞄から取り出した。そういえば私にしては珍しく1時間以上スマートフォンのことを忘れていた。それだけ平林寺の魅力に当てられていたということか。やっぱり写真を撮るのはやめておこう。ここの空気感は6.1インチの狭い世界には収まりきらないから。