「新座、私は龍を見た。」
立教大学 観光学部交流文化学科 2年 中野 莉沙子
私は見た。見ようとすれば見えるのに、大抵の人はそのことに気が付かない。そんな龍を見た。
四月の電車は、緊張感。新しい活動の場へと身を移した人々の、強張りつつも光を探す表情が溢れかえる。毎年の積み重ね…と無表情を装う軍勢も、無意識下での心の締め付けを隠しきれてはいない。四月の魔力だ。そんな表情を貼り付けながら、彼らの視線は四角く薄いそれに向いていた。スマートフォンは今、日本で85%以上の普及率を誇るが、通勤・通学する世代においてはもっと高い気がする。彼らはそれで、近くて遠く、狭くて広い世界をまなざしている。無論、私もその一人だった。何か見たいものがあるわけでもなく、なにか手持無沙汰で画面を開いていた。
そんな日常の中、その時は来た。ドア横の定位置を確保して、プシューとドアが閉まる。そして、いつものように――(あ…しまった、充電するの忘れてた!)右上の電池マークは非情にも赤く生気がなかった。新入生、“友達”になったらまず「SNS教えて!」のこの時代に充電切れなんて冗談でもきつい。(少しでも長生きして…)と心の中で両手を合わせながら電源を切ると、それを真新しいトートバッグにしまった。吊り広告を一通り読み終えたら、次は視線の行き場に困った。それだけの理由だった。何の気なしに扉に向き直ったその瞬間、私は見た。龍だ。つがいが身を休めているような二筋の龍。それは力強くも儚く、しかし確かに、そこに居た。勿論、空に浮かぶのを見たとか伝説を信じているとか、そういうオカルトちっくなことではない。私が見た龍、それは桜堤――
黒目川は、新座市を横切るように流れる全長約17キロメートルの一級河川である。環境省による「平成の名水百選」にも選定された清流“妙音沢”の流れも合流するその川は、かつては片山の低地を自由に流れていたという。流域には遺跡も多く、黒目川が新座の人々の暮らしに寄り添い、歴史を共に刻んできたことを窺うのはそう難しくない。そんな黒目川は現在、両岸を堤防に囲まれている。そこに並ぶ桜、私が見た龍である。
10秒もないその時間は、私を突き動かすには十分だった。入学して初めての授業での、ある先生の言葉を思い出した。――「あなた達は、ここに来ますよね、ほぼ毎日。新座にいる時間が他の場所にいるよりも長くなる。なのに、最寄りの駅から学校までの一本の道しか知らない。そんなの寂しくないですか?もったいなくないですか?私はまちを歩くが好きでね、ここには素敵な場所が沢山ある。だけど、それは自分からはやってこないから、あなたが探すんです。」――今だと思った。
帰り道、私の足はその場所へ向かっていた。黒目川。新座市のホームページで行き方を調べた。東武東上線の朝霞台駅で降りてバスで15分。新座高校前で降りてそこから歩いて5分。のどかな空気の中歩くのは気持ちがいい。(電車で見たところとは違う場所かなー、長い川だしね)なんて心の声はにわかに消えた。すべて忘れるくらいに、目に映る桜に息をのんだ。一輪のささやかな桜の花が、房になり、枝になり、そして一樹の桜となり、木々がつらなり川に寄り添う。圧巻。薄紅のやわらかで優美な花びらと、それでいて芯のある太い幹。人々を見守る彼、彼女の姿は、淡藤色と空色と、春の雲が織りなす夕べに包まれ、私を迎えた。帰宅途中の高校生のざわめきは遠のき、前髪をふわりと揺らすほどの穏やかな風を纏う私は、龍と対峙した。
四角く薄い世界から目を離し、顏を上げたとき、車窓という額縁から見える景色は何も拒まない。気づかないうちは、私が拒んでいたのか。四月の魔力は私に、龍を見せた。