『沢の音に想う』
立教大学 文学部文学科 4年
星川 ちひろ
妙なる音の沢。その名の通り、静かな林の中に響く水の音は美しく、鼓膜に染み入るように感じられた。新座市南部に位置する妙音沢。普段通っているキャンパスのある池袋駅からは二十数分の場所にあるが、都内の自宅からだと一時間二十分はかかる。自宅で授業のほとんどを受けるようになってからは、時間がかかりすぎるため一度も行けていない。
雑木林の中にあって、黒目川に注ぐまでの100メートルほどをそう呼ぶらしい。もう令和も三年になるが、平成の名水百選に選ばれているとか。豊富な湧き水は澄んでいて、最近はとんと見かけなくなったサワガニやトンボなどを見ることが出来る。
私は、その雑木林の中の木道を一人で歩いていた。
点々とカタクリの花が見える。雑木林の中で目印のように目を引く鮮やかな紫を追いかけるように、奥へ奥へと進んでいく。水辺が近いからか、林の深さゆえか、一段と涼しく感じる。風が吹くたびに水音とは違うざわざわとした音が四方から聴こえる。一目でなにと分かる動植物はカタクリのほかにないけれど、そこかしこに虫や草花の息遣いを感じる。私がその名を知らないだけで、ここにはたくさんのものが生きているのだ。普段目にするものの大抵はその名前を知っているので、少し不思議な気持ちになった。でも嫌ではない。広いな、と思った。私が見えている以上に、ここは広い。
ささらぐ川音が次第に大きくなってきた。「さらさらに 何そこの児のここだ悲しき」と以前習った和歌を口ずさむ。多摩川を詠んだ和歌なのでこの沢とは関係がないのだが、沢のさらさらという音にここの自然に惹かれる気持ちが更にさらに強まる。妙なる音と名付けられるに相応しい。
妙音沢物語、というこの沢ゆかりの逸話がある。信仰深い盲目の琵琶法師が、この場所で弁財天から琵琶の秘曲を授かったという話だ。いつのまにやら眠ってしまっていた法師が目覚めると、弁財天の姿はなく、その姿を写した掛け軸が桜の木にかかっていたという。掛け軸は同じく新座市南部の方台寺に保管されているらしい。
川のほど近くに出た。雨が降った後のように、濃い土の香りがする。もう聴こえるのは清流のせせらぎのみになっていた。長い距離を歩いたような気がしたが、時間は一瞬だったように思う。少し大きな岩があったので、それをじっと見つめた。掛け軸があるというのだから、ここで曲を授かったというのは本当なのかしら。もしもそうだとしたら、弁財天が座って曲を教えたという岩は、もしかしてこの岩なのかな。桜に掛け軸がかかっていた、という話が残っているということは、ここで見つかった妙音旗桜と何か関係があるのかしら。弁財天が、なにか……。
ふ、と意識が浮上した。雑木林と沢は目の前から消えている。夢想した琵琶法師や弁財天の姿も、もちろん目の前にはない。突っ伏していた机から顔を上げる。しびれる手には、スリーブ状態のスマホが握られていた。電源を入れると、眠りに落ちる直前まで見ていた写真が。
そうだ、妙音沢で撮った写真を見ていたのだった。懐かしいね、もう一度行きたいなと友達に送るために、スマホを操作する。メッセージの話題が別のものに変わってからも、私を招くようなさらさらという沢の音が耳に残っていた。