『紅葉の奥で見つけた景色』

十文字学園女子大学 人文学部文芸文化学科 4年
松本 香澄

 

「新座と言えば…」という話をしていて、まず名前が挙がるのは平林寺である。私は新座出身でもなければ、埼玉出身でもないのだが、そんな私でも新座の有名な場所と言えば平林寺が思い浮かぶ。それは、私の通っている十文字学園女子大学では、授業の一貫として平林寺を訪れることが多々あるからという理由もあるだろう。そんな新座を代表する平林寺は、紅葉の名所として知られている。私も一度、紅葉の時期に訪れたのだが、敷地全体に広がる赤や黄、緑、時々混ざる茶の光景はそれは見事なものだった。紅葉を目当てに訪れていた人も多いようで、皆一様にその光景をカメラに収めていた。平林寺の中は、自分が思っていた以上に広く、歴史を感じさせる建物が点々と並んでいた。歴史的情緒を感じさせる広い敷地を歩き、想いを巡らせていると、まるで自分の周りだけ時間が止まったように思えた。ああ、これは素晴らしい体験をした。流石は名所と言われるだけある。と満足感を得ながら、ゆったりとその余韻を楽しんでいると、ある光景に足が止まった。それは、紅葉の奥に広がる世界。紅葉のように色彩豊かで絢爛な美しさはないが、素朴でどこか物悲しさを感じさせる美しさがあった。所狭しと並ぶ細長い木々たちは、目立たず、ひっそりとただそこに佇んでいた。多くの人のカメラの中に収められる紅葉の、その奥に仕舞われていた。私はその光景にハッとした。目を惹く美しさだけを美しいと思いがちだが、あるがままにそこにある素朴な美しさもまた美しいのだということ。以前私は大学で、美しさの定義とは何かということを哲学の授業で学んだが、まさに今広がっている光景がそういうことなのではないかと感じた。そして、新座という地に多くの大学が置かれている理由が、この平林寺の風景を見て、少し分かったような気がした。大学では、高校までのように知識を問われることはあまりない。その代わり、自ら物事を考える力、発想を広げる力が重要視されるようになる。新座の自然溢れる豊かな立地は、そうした感受性を養うに最適な場所だったのではないだろうか。私のこの考察が合っているかは分からないが、少なくとも大学生らしい思考を巡らせることができたということは事実だ。現代に生きる我々は忙しなく、ゆっくりと自然を楽しむということが中々叶わない現状に置かれている。私自身も、大学と授業の課題、アルバイトの繰り返しで、そんな余裕はない。しかし、大学の近くにこうした自然豊かな土地があることで、気軽に美しい自然と触れる体験をすることができる。忙しい大学生活の中で、こうして身近に自然があるというのは、新座ならではの特徴だと思う。他にも自然豊かなところはあるだろうが、新座は都会にも近いため、都会と自然のハイブリット的な要素を含んでいるというのが独自の特徴として挙げられるだろう。大学の学び舎としてはこれ以上ないほど、理想的な場であると私は思っている。私は今、大学4年生で、来年には大学を卒業してしまうけれど、この4年間で見てきた新座の景色はきっと忘れることはないだろう。今回こうして、トラベルライティングアワード新座賞の執筆を行うにあたって、あらためて新座の魅力を知ることができた。4年生という最後の年にこうして新座を語ることができ、非常に思い出深いものとなった。社会に出てからも、新座の地で養った観察眼を忘れることなく、生活していくことを心掛けようと決意した。