『新座、夏、涼むには?』
立教大学 観光学部交流文化学科 2年
晴気 なばほ
「新座、夏、涼むには?」
某検索ツールよろしく新座市出身の友人に尋ねる。立教大学新座キャンパスに所属して2年になるが、私はここでの夏の過ごし方を知らなかった。毎日、キャンパスと新座駅の往復だけだ。せっかくだから、この暑い夏を忘れられる新座市での涼み方を教えてもらおうとした。
AI扱いするなと友人は笑いながら、スマホの画面を見せた。
「平林寺は?」
スマホの画像フォルダに並べられた一面の緑に、私は心を奪われた。
JR武蔵野線新座駅の改札を出て、バス停へ向かう。そこから西武バスに乗って15〜20分ほど揺られると、茅葺屋根の門が確認できる。空まで伸びた若々しい緑を背景に、飾り気のない木造の門がどっしりと構えていた。その屋根下には「金鳳山」、門の前の横の柱には「臨済宗平林寺専門道場」の文字が刻まれている。
―――埼玉県新座市にある関東の代表的な禅寺、平林寺の総門だ。
正式名「金鳳山平林寺」は、今から650年ほど前の南北朝時代に武蔵国埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建された。開山したのは石室善玖禅師だ。その人物が元に渡って修行した、金陵の鳳台山保寧寺に由来して、山号は「金鳳山」とされた。また寺の伽藍が平坦な林野に見え隠れする様子から、寺号は「平林寺」と名付けられた。
門横の入り口から進んでいく。新緑の合間を太陽の輝きがこぼれ落ち、ぼんやりとした陰が道を覆う。やわらかい葉が擦れる音とともに、ひんやりとした風が顔から背後へと過ぎていった。道の脇からサラサラと水の流れる音がする。野火止用水(平林寺堀)だ。苔むした石造りの水路を、静かに一枚の葉が流れていく。息を思いっきり吸い込めば、肺に初夏の匂いが充満する。これほど爽やかな気分になったのはいつぶりだろうか。
石畳の道の奥には、総門と同じく茅葺屋根の山門が見えた。近づけばその大きさに驚く。岩槻にあった平林寺は、寛文3年、1663年に野火止に移転する。これは徳川家康の家臣である、大河内秀綱の孫・松平信綱の遺命だ。そのとき、岩槻にあった平林寺の山門を解体し、新しく門がつくられた。それが今の山門である。この門も、門下の金剛力士像も、350年以上の歴史を生きてきた。
さらに奥へ進めば仏殿が姿を現す。ぱかり、と緑の天井が割れて空色が広がる。強い日差しに照らされて、仏殿に陰ができる。より厳かな雰囲気になりあたりは静まり返っていた。そのため私はゆっくりと歩み寄るほかなかった。
仏殿を後にすると、隣に大きな池があった。背の低い草に囲まれたここは放生池といった。池の水はかつて野火止用水(平林寺堀)から通じていたそうだ。つくづくこの町は野火止用水に縁があるのだと感じる。鏡のように空と周囲の緑を映す水面、その下を優雅に泳ぐ錦鯉たち。もしも私がこの鯉だったのなら…と水中に思いを馳せる。きっと涼しいに違いない。
さあ次はどこに行こうか。そう考えていると、目に飛び込んできたのは緑、緑、緑……一面の緑。木漏れ日をダイヤモンドのように煌めかせる、瑞々しい緑の世界だった。初夏の風が木々の間を通り抜け、その葉を躍らせる。確かここは約43ヘクタール(13万坪)もある「国指定天然記念物」だったはず。そして秋になれば頭上は赤や黄に染まり、見事な紅葉で訪問客を楽しませるのだという。まさか、平林寺の境内林がこんなにも美しいとは思わなかった。
涼むといえば、以前の私ならクーラーだ、アイスクリームだと室内で完結できる方法を挙げただろう。しかし今は違う。今の私は新座市の平林寺を知ってしまった。目で、耳で、鼻で癒される涼み方を知ってしまったのだ。
「新座、夏、涼むには?」
この質問にあなたは何と答えるのだろう?