『第一回、一人新座探検会』
立教大学 観光学部交流文化学科 2年
平山 京果
もう、三十分ほど経っただろうか。私はさっきからずっと、パソコンの前でこのワードの画面と向き合っている。小説家の下には文章が降りてくるらしいが、私には降りてこないどころか、探し回っているのにその片鱗さえ見えない。しかし、よく考えてみたらそれもそうなのかもしれない。「私の好きな新座」というこのレポートのテーマに対して、私の知っている新座は志木駅からキャンパスまでのせいぜい1キロ圏内のみ。新座にある大学に通い始めて一年が経ったが、実際に新座に来た回数は百回にも満たないのではないか。魅力を聞かれても、「高い建物がなくてのどかで、過ごしやすい場所だよ」くらいのことしか言えない。それは、何も降りてこないわけだ。新座ビギナーにもほどがある。ところで、私のモットーは「思い立ったら即行動」である。
よし、新座探検にでかけよう。
六月二十日。曇天。気温は三十一度。行き先は、平林寺だ。グーグルマップ曰く、キャンパスから歩いて五十分弱。私は、さっきまでにらみ合っていたパソコンをリュックにしまい込み、この何とも言えない天気を吹き飛ばそうとでもするかのようにイヤフォンでお気に入りの曲を流して歩き出した。急に決まった「一人新座探検」に少しずつ胸が高まっていく。小学生の頃の遠足のような気持ちだ。毎日の通学路でおなじみの、車通りが多くて歩行者通路が狭い道を三十分以上歩いて、そろそろ遠足気分が薄れてきたころ、ぱっと空気が変わったのを感じた。はっとして周りを見渡すと、平林寺が見えてきたのであった。歩みを進めるごとに空気の中のきれいなものの密度が増していく。足の回転が自然と速くなっていく。
着いた。ここが平林寺である。
思わず、イヤフォンを取った。今の今まで耳に響いていたポップスと引き換えに、完全なまでの静寂が耳を、そして心を満たしていく。いや、静寂とは言わないのかもしれない。「静寂の音」がするのである。木々が風で揺れる音。どこからともなく聞こえる小鳥の小さなかわいらしいさえずり。静かな環境でないと聞こえない、自然の生を表すような音たちが、私を取り巻いていた。それは決して、電子音には到達できないレベルの美しさであった。歩みを進めていくと、視界が緑で埋め尽くされていることに気付く。どっしりとした威厳のある深い緑も、生き生きとした明るい黄緑も。すべての緑が、確かな存在感を放っていた。曇天だったのが、かえって良かったのかもしれない。薄い靄のような光が、一つ一つの緑色の輪郭をより明確なものとしているようだ。来る前にインターネットで見た写真の色たちがまやかしにみえるほど、堂々と光る緑だった。そのままゆっくりと直進すると、本堂の前にたどり着いた。「気が良い」とはこういうことなのだろうか。まるで、地球上のすべての良いエネルギーがこの場所に向かって集まってきているようだ。そっとマスクを取って大きく深呼吸をする。六百年以上の歴史の中で、地球の環境や社会の構造が変わっていく中でもこの寺が、この環境が、守り抜かれてきた理由が、少しわかったような気がした。
これが、私の第一回、一人新座探検会であった。家に帰って家族に、「知ってる?私は知らなかったんだけどさ、新座ってすごいんだよ」と鼻の穴を膨らませて自慢したことは、言うまでもない。私の中の不純なものが新座のきれいなものたちに取って代わられて、なんだか私の心まできれいになったような、そんな素敵な探検であった。さあ、第二回はどんな新座を探検しよう?